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以前何かの本で坂本龍一さんが、小泉文夫先生がいらっしゃったから 東京芸大に行こうと決めた、というようなお話をされており、 いつか読んでみたいと思っていた本をようやく読み終えた。 冒頭からインドネシアでの話が出てきて、すぐに引き込まれ、とても面白かった。 小泉文夫さんが海外で調査してきた音楽に関するレポートなのだが、 こういったフィールドワークものはどんなジャンルでも読むとワクワクする。 特に『人はなぜ歌をうたうか』という表題の項は非常に良かった。 『歌』という、メロディとリズムを備えた形式あるものになるには、 生存の維持が関わっていた、という。 個人で狩猟をしてきた民族と、集団で狩猟をしなければ獲物にありつけなかった民族とでは、 圧倒的に後者の方がリズム感が良く、非常に歌が上手いそうなのである。 その代表に鯨・エスキモーの話がある。 彼らは年に2回訪れる捕鯨のチャンスのために、皆のリズムを合わせる練習を 太鼓と歌を通して行っていたそうだ。 そこに使われていた太鼓も海沿いのエスキモーが作り出したものであり、 (流木と鯨・セイウチの内臓膜を使っていた)内陸エスキモーには作り出せなかった。 とはいえ、他の民族に歌がなかったかというとそういうわけではない。 ただ、リズムがベースにあって、一つのフォーマットとして共有できる”歌”というのは、 やはり個人で狩猟する民族にはないらしい、とのことである。 エスキモーのあと、彼は首狩族の音楽を調べにボルネオに渡るのだが、 そのエピソードがまた面白い。 首狩族というのは、権力を持つものがいない原始共産制社会であり、 外部からの侵入者の首を取ることで部族の村を守ってきた。 逆に言うと、自分達から出かけていって他の村を襲う、ということはしない。 彼らは首狩りに出る前に、その日の狩を即興の歌で占うのだそうだ。 皆のテンションが上がって上手くハモれたら、皆の気持ちが合っているから出撃、 合わない日には調子が悪く、やられてしまうので狩りには出ない。 なので必然的に首狩りの上手い部族は歌も上手い。 そして首狩りのテクニックを次の世代に受け継がせるために、子守唄もあるそうだ。 リズムもハーモニーも、歌として進化してきたのには娯楽・教養以前に 人間が生きるという本能的な生存に関係があった、そして歌が下手だった人たちは みんな滅びていったのだという深刻な問題があった、と結んでいる。 歌が下手な人たちがみんな滅びたとは思えないが(笑 それでもいわゆる”生命力”という、一般的には力があるとか、創意工夫に長けている、ではなく 『歌が上手い』ことが含まれると思うと、なんだかとても詩的で美しいと思う。 一体感、ということを最近よく考えるのだが、ルーツはそこにあるのかもしれない、とも思う。 自分の努力・能力が全員の幸福・利益にダイレクトに繋がっている社会というのは、 原始社会といえども成熟していて豊かなものだな、と感じた。 このほかに、古代社会から中世、近世と、社会システムの変化に伴って、 主流となる楽器群が変わる、というのも面白いと思った。 打楽器から管楽器へ、そして社会的な束縛(主に女性に対して)が強烈になってくると、 芸術的表現も影響を受けて弦楽器主体に変わって行ったのだそうだ。 それは愛の感情を表現するときに、いわゆる”女性的”なイメージに楽器を沿わせていった 結果なのだという。中世から近世は社会的にも、芸術でさえ、女性にとっては制約の多い、 窮屈なものだった。しかし、現代は再び打楽器の時代になりつつあるそうだ。 女性も解き放たれて、パワーを持ち始めている表れだとしたら嬉しい限りである。 宗教音楽についてや、日本の音楽のこれからについても様々に語られており、 非常に興味深い一冊である。主に70年代後半~80年辺りにかけて書かれたものだが、 今読んでも遜色なく、音楽好きなかたにはぜひオススメしたい本だ。 (もう絶版になっているので、図書館か古本でどうぞ。)
by cyabon
| 2011-12-06 20:46
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