|
カテゴリ
最新の記事
以前の記事
2012年 05月
2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 最新のコメント
最新のトラックバック
ライフログ
オチビサン
鈴木先生
検索
タグ
ファン
|
![]() 先日、J-ICCAメンバーの皆様にお誘いいただき、一足早く、川床で鱧をいただいた。 とても気持ちのよい日で、お料理もおいしく、幸せなひと時だった。 ちょうど京都の旧家や伝統の話をしているときに、着物の若い女性客2人がやってきた。 おそらく、ホテルの宿泊プランかなにかでレンタル・着付けてもらったと思しき姿。 私の視界からは見えなかったのだが、向かいにいたMさんが その2人の女性が、川へせり出した先端の席へ、 床にセッティングされている座布団を全部踏みつけながら歩いて行ったことを指摘し, 意地悪や批判ではなく、ただ、そういうことにすぐ気がついてしまうし気になる、とおっしゃった。 着物を着るということ、その土台を成す精神性のことを思った。 『<民藝>のレッスン つたなさの技法』という本に、塚本由春さんの 「ふるまいの美学」というお話がある。一部抜粋する。 大学の研究室の打ち合わせテーブルで学生達がコンビニ弁当を食べているのを見て、 驚いたことがあります。ほぼ食事が終わりかけていた机の上は、コンビニのビニール袋、 透明プラスチックの蓋、ビニールラップを丸めたもの、割り箸が入っていた袋、 飲みかけのペットボトル、などが散乱していました。 その中の黒いプラスチックトレーから、学生達が最後に残ったおかずとご飯を 箸でつついているのです。 それがまるでゴミの中から食べられるものを漁っている姿に映ってしまったのでした。 そんなだからでしょうか。食事をとる学生達の姿勢も良くないものに見えました。 その後、塚本さんは古道具屋で買った食器を研究室に提供し、 学生達にはまずゴミを片付け、お弁当をお皿に移して食べることを提案したそうだ。 その結果、食事が”食べる”ことだけではなくなり、ふるまいの連続が生まれ、 食事にかかわるその他のこと ―料理、盛り付け、片付け、しつらいなど―へ波及していった。 これはとても面白く、大切なことだと私は思った。 着物を着ることも同じだと思う。そこから”ふるまい”へ、意識を拡大していくこと。 何かを意識することでそこに理想や憧れが生まれ、ふるまいが変化する。 その美学が、日々の生活を変えていく。それはとても楽しいことだと思う。 着物を着るようになって学んだことが、本当に多いと気づかされる。 それと同時に、本当に面白い。 ![]() 5月12日土曜日、Cafe Bibliotic Hello!にて、 日本-インドネシア服飾文化協会 関西支部 開設記念パーティが行われました。 総勢58名ものお客様にお越しいただきまして、 この場をお借りして、改めて深く御礼申し上げます。ありがとうございました。 ![]() こんなにもたくさんの方にお越しいただけた最大の理由は、 なんと言っても染司よしおか当主、吉岡幸雄先生の講演にあったと思う。 先月、京都文化博物館での芹沢銈介展記念 記録映画上映会で、 『紫 色に魅了された男の夢』(2011)を観た。 上映の後、舞台挨拶に来ておられた吉岡先生と講演の打ち合わせをしたのだが、 正直、いろんな想いがこみ上げるのと緊張とで、まともなお話はできなかった。 私が何かを語るよりも、ぜひより多くの方にこの映画を観ていただきたいと思うのだが、 これは本当に私たちみんなにとっての大切な財産であり、 みんなで守っていかなければならないものだと再認識したのであった。 自分が生きている間にできることなどたかが知れているし、 そんなに大きなことが出来るとも思っていない。 ただ、今回関西支部を開設するにあたって、支部長という大それたお役目をいただき、 とても自分には務まらないと思いつつも、もしもそれが何かに役立つのなら、 という気持ちも捨てきれず、思い切って厚かましいお願いを、 吉岡先生及びお嬢様の更紗さんにもお願いしてしまったのだった。 職権の乱用で、自分ならこんな方のお話が聞いてみたい、 こんな会があったら是非参加したい、という思いを実現していきたいと思っている。 普段出会う機会がない人たちとの交流、お話しを聞くチャンスがない方をもっと身近に、 世代を超えて大切なものを共有し繋げていくことができたら、 こんなに素敵なことはない。と、私は思う。 そのためには、私一人ではどうにもなりません。 共感してくださった方々のご支援・ご協力が本当に必要です。 随時入会も募集しておりますので(入会費・年会費で4000円と、大変リーズナブルです!) ご興味のある方はぜひご連絡ください。 関西事務局 藤本 jicca-kansai@hotmail.co.jp 今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。 ![]() 本文中 写真撮影 宮下直樹 ![]() 以前からチェックして、絶対観ようと思っていた映画、 『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』をようやく観に行ってきた。 どちらの著書もきちんと読んだことはなく、 何かの本の中で読み齧った情報の寄せ集めと2人の関係に対するイメージ、 それだけで期待に胸膨らませていたのだが、 この描き方がどうなのか判断できないという意味で”知らない”ことが裏目に出てしまった感。 プラス、断片をスピーディに繋ぎ合わせて綴るやり方が、私には合わなかった。 ボーヴォワールが”女性”に拘れば拘るほど、そこに囚われていくのが切なかった。 もっと新しい愛情のあり方を垣間見れるのかと思っていたが、 そこにあったのは誰ともなんら変わらない愛の苦悩だったように見えた。 (もちろん、十人十色の苦悩があるのだから、その質は特殊かもしれない。) これが実際に近い形で描かれているのかどうかとても知りたくなり、 未読の本が数冊スタンバイしているが、ボーヴォワールの本を先に読んでみようと考えている。 もしオススメの本をご存知の方がいらしたら、ぜひ教えてください。 最近、哲学 / Philosophy という言葉の解釈に戸惑うことがある。 拘れば拘るほど、そこに囚われていくのは私も同じようだ。 マイケル・サンデルの『一度入ったら引き返せない』という言葉が甦る。 ![]() 先週の日曜日、東京での展覧会が終わった。 10日間という短い期間だったが、その間3回京都⇔東京を往復、 大雪に見舞われたり発熱に見舞われたり、山あり谷ありの長い10日間であった。 お忙しい中、また遠方からお越しいただいた皆様、どうもありがとうございました。 この場を借りて御礼申し上げます。 3回目の上京のとき、出発の日の夕方既に発熱していて東京行きをかなり迷ったのだが、 熱だけなら解熱剤でなんとかなるだろうと判断、決行した。 実際、初日だけ1日寝ていたのだが(びおワインの会を泣く泣くキャンセル。。。。) とりあえず表面上熱は下がったので、その後は予定通り、3連チャンの飲み会もクリア! ・・・と思いきや、日曜日の朝から声が出ない。 というか何とか出てはいたのだが、 周りの方には相当お聞き苦しい思いをさせてしまったに違いない。 ハスキーをとっくに通り越した、ひどい声であった。 それでも最後の飲み会を乗り切り帰京、月曜日から本格的に声が出なくなった。 こんなことは初めてで、とにかく電話をもらった時の対応が一番困った。 振り絞って、絞って、絞って、なんとか途切れ途切れに”私はここにいます”とアピール。 いやはや、なぜこんなことになったのかしらん。 病院嫌い・薬嫌いではあるが、さすがに日常生活に支障を来すので病院へ。 悪い奴らはいつの世も弱いものを目ざとく見つけて攻撃する。 その戦略の基礎の基礎を、私たちは自分の身体の構造から本能的に学んできたのだと実感。 解熱剤で弾圧された奴らは、咽~気管への攻撃へ切り替え、暴れたい放題やってくれたのだった。 なんにせよ”初めてのこと”は大好きな性分であり、声が出ない体験は非常に面白かったのだが、 唯一、ものすごくショックだったのは、鼻歌が歌えなかったこと。 今日やっと鼻歌が歌えるようになって、ほんとに幸せだと思った。 そして、この間友人と”私は今まで誰かを殺したいと感じたことが一度もない” という話をしていたのだが、ひとつだけ思い出した、 鼻歌泥棒だけには殺意に近い感情を抱いたことがある。 それほど自分の人生にとって鼻歌が大切だったとは知らなかった。 ちなみに、鼻歌泥棒とは私が勝手につけた名前で、 人が気分良く鼻歌を歌っているときに、同じ歌を先取りして鼻歌を歌う、 もしくは違う歌をより大きな声でかぶせてくる(私の鼻歌を潰す)人のことを言う。 皆様、くれぐれも私の鼻歌は盗まないようにお願いします。 ![]() 国立本店にて、2月29日-3月11日まで Pameran Dua Orang 3,4,10,11日は在廊しております。 皆様のお越しをお待ちしております。 http://honten.chub.jp https://twitter.com/#!/kunitachihonten 今日は予想外の嬉しい出来事が3つ。 一つ目は、イギリスに住む友人から今朝バースデーコールがあったこと。 見慣れない不審なナンバーの羅列をディスプレイに眺めつつ、なんとなく出てしまって驚いた。 向こうは深夜の一時、昨日の夜と今日の朝が電話で繋がっているのが不思議な気持ちだった。 驚きのあまりしどろもどろだったが、電話を切ってからじんわり実感、気持ちがほんわかとしてきた。 友人がイギリスに旅立ってそろそろ1年。夏の休暇で日本に来ていたときも、 連絡をもらうより先に街でバッタリ出くわすという、いろんな意味で縁の深い人だった。 キノコの何かを見つけると思い出したように突然メールを送ってくるし、 ペンギンの何かを見つけると、私は彼にメールを送る。そういえば、今朝もペンギンの話をしていた。 こんなふうに友情(というより兄弟みたい)が続いていくのだな、と思うと本当に嬉しかった。 そして買い物から帰ると、扉に紙袋が。RちゃんとTTから、ラム酒が届けられていた。 ラッピングもパッケージもラベルも全てが私のツボで、かなり舞い上がった。 飲まなくてもその爽やかな風味が想像できて、最初の一口を想うと心が躍る。 自分はお酒が好きなのではなく、それにまつわる状況が好きなのだと思い込んでいたが、 どうやら本当にお酒が好きらしい。この胸のときめきたるや。 失敗しないようにだけ、決意を新たに。。。 ![]() 極めつけは甥っ子からのハガキ。今月末、東京での展覧会のため姉宅にお世話になるのだが、 今から私と遊ぶことを堂々と宣言してよこした。馬が『きてね』とかわいく誘い、 ライオンの頭にはクエスチョンマークが3つ、『なん日止まるの』と詰め寄る。 止まるは泊まるだよ、と心で突っ込みつつ、一人でニヤニヤ。 このお正月、二人で買い物に行ったときの事を思い出す。 ツタヤの店頭に出ていたウルトラマンのぬりえブックを手に取り、 『ねぇねぇ、やっしーこれ見てー。これ、すっげーセンスいいんだよねぇ。』って、6歳児の発言とは思えない。 会うたびに成長していて、ハガキの字も堂々としてしっかりしてきた。 最高の贈り物をもらったな、と感慨に浸る。 年を取ると誕生日が嬉しくなくなる、とよく聞くが、私は嬉しい。年を重ねることは喜びでもある。 いつもなんとなくやり過ごしてしまう人との関わりの原点を、改めて見つめることができる気がする。 長く続いてきた友情や、ひょんなことから生まれた縁、新旧さまざまな繋がり。 その全てがあってこそ、私という人間が織り成されている。 言葉では簡単だが、それを再び見出し心に納める、誕生日はそんな機会なのではないだろうか。 この場をお借りして、一緒にお祝いしてくれたみんな! 誕生日のメッセージを下さった皆様、本当にありがとうございました。幸福感に満たされております。 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||