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毎夏の恒例行事、アメリカの南東部サウスカロライナを訪ねた。 サウスカロライナはアメリカの中でも歴史が古く、奴隷制度が盛んだったため、 アフリカから米栽培と藍染めの技術がもたらされ、綿花の栽培も大きな産業だったそうだ。 以前から、アメリカの藍はどんな種類の藍なのか気になっていたのだが、 織物作家の方と話していたときに”私も気になってました!”と言われたのがきっかけで、 今回は、アメリカの藍を訪ねるショート・トリップをすることになった。 色々と探してもらった結果、なんとバティックの藍染作家がいらっしゃるとのことで、 Arianne King Comerさんのお宅にお邪魔することになった。 Arianneさんは、とっても人懐こい笑顔で迎え入れてくれ、 一通りの世間話が終わると、写真を見せながら、藍について色々説明してくれた。 聞くところによると、サウスカロライナの藍は中米(カリブ海)から持って来られたそうだ。 メキシコでも藍染は盛んだし、伝統的な織物があるところには藍があるだろうと思っていたので、 まずまず予想通りだったが、直接聞くことが出来たのは嬉しかった。 *これは、リビングに置いてあった、布を絞る機械。以前インドネシアで、これとよく似た 綿花のゴミや種を取り除く機械を見たので、同じものかと思ったが、違ったようだ。 その後は自宅裏の工房を拝見させて頂いたのだが、驚いたのはその道具! スポンジをこのように削って先を尖らせて、そのままロウに浸して描いていくのだそうな。 前にビデオかなにかで、木切れのようなものでバティックをしているアフリカ人の映像を見たが、 やはりこれもナイジェリア地域で用いられている技法だとの事。 廃品から採れるスポンジを再利用する運動も関わっているらしい。 アンティーク・マーケットなどで見つけてきたウッド・ブロック・スタンプも用い、 最近は知り合いの職人に新しいものも作ってもらっているそうだ。 そしてもう一つの驚きは、Indigo Vat Shackという、移動式藍甕ワークショップ車! 壁面にはソーラーパネルが装備してあって、そのパネルを開いて屋根にし、 折り畳み式のテーブルも開いて、そこで作業ができるようになっている。 室内の壁面には藍染の歴史や化学についての解説があり、 どこでもすぐに藍染を体験し、学ぶことができるという訳だ。 室内には2つの大きな藍甕が用意されていた。 Arianneさんは、いつかアメリカ全土に藍畑を作りたい、とおっしゃっていた。 エネルギッシュで明るい笑顔を見ていると、今回お会いできて本当に良かった、と思った。 だが、バティックの技法も、藍の色も、ワークショップをして周るという発想も、 私が学んでいる王宮バティックとはほぼ対極にあり、少し複雑な思いが残った。 王宮のバティックを遺していかなければ、と言いながら、 私は未だに王宮バティックの染の現場を見せてもらったことすらない。 閉ざされていては知り様がないのだから、伝えようがない。 チャンティンを使う事はそこまで難しくないが、王宮バティックのテクニックは難しい。 いったいどれだけの若い世代の人たちが、そこまで興味を持って辿りついてくれるのだろう? 藍染/バティックは、これからまたリバイバルする可能性は大いに秘めているが、 王宮のバティックは難しいだろうな・・・と、思い知らされた旅であった。 #
by cyabon
| 2016-08-15 23:45
| 旅
ここ3か月ほど”根”について考えている。 というのは、来年の秋久しぶりに個展をやる予定で、 デザインのことで頭がいっぱいなのだ。 なぜ”根”なのかは横へ置いといて、 先日見てきた興味深い展覧会のことを書きたいと思う。 国立民族学博物館・企画展示場で開催中の『One Road』 -現代アボリジニ・アートの世界-展である。 ”オーストラリア西部の砂漠地帯を縦断する一本道、キャニング牛追いルート。 今から100年以上前、ヨーロッパから来た入植者が北部の牧草地から南部の食肉市場へと 牛を移動させるために切り拓いたこの道で、先住民アボリジニは初めて「白人」と遭遇し、 その生活を激変させることになります。 「ワンロード」展は、かつてそこに住んでいたアボリジニとその子孫であるアーティスト60名が、 2007年に1850キロの道を5週間にわたって旅をし、「白人」の側からしか語られて来なかった キャニング牛追いルートの歴史をアボリジニ自らがたどり直す過程で描いていった 絵画を中心に、映像、写真、オブジェ、言葉によって構成される、アートと人類学を架橋する 稀有でダイナミックなプロジェクトの記録です。” 今までアボリジニ・アートの強烈な色と迫力ばかりに気を取られていたが、 それが地図を表しているとは思わなかった。 そして、水場を奪われたアボリジニが土地を追われ、やむを得ず移住したのちも、 こうして地図を描き続け望郷の念を抱いていることに、色々考えさせられた。 こういう人々、また、ジャワの人々を見ていても感じたことなのだが、 彼らにとって土との結びつき(いわゆる”土地”ではなく)が非常に重要らしい。 現代では、それは”住所”となって、やはり社会生活を営むにあたり重要な要素だが、 住所の持つ意味と”土”の持つ意味は全く違う。 いつも思うことなのだが、私の歴史には”土”が付いていない。 どこにも結び付いていない感じがする。だから、繰り返しこういうことを考え、 ”根”に憧憬するし、逆に糸の切れた凧のような生活を好む傾向がある。 そして、しっかり自分の土台として”土”と結びついている人々の生活の暮らし、 社会との関係性などを、自分がそうだったらどうだっただろう、と思いめぐらしてみる。 ふと思い出すのは、真冬のフライトで見下ろしたアラスカの凍土。 かすかに白んでくる、赤みを差した凍てつく地平線に、まだ闇に包まれた氷山の影、 そこに点、点、と灯るあかり、人間の営み。 今日、Facebookのタイムラインに上がって来た映像を見て、とても感動した。 今現在、私を土と結びつけているものはないけれど、 かつて、どこかにしっかりと根差していたのだという気持ちが湧いた。 (ひょっとしたらジャワかもね) #
by cyabon
| 2016-06-22 21:13
| 生活
またまた、随分とご無沙汰のブログになってしまった。 今年に入ってから身辺に色々と変化があったり、 新しい試みを模索したり、素晴らしいオファーを頂いたり。 ここ1~2年は、ほんとに相当頑張らないといけないな、 という状況に追い込まれつつあるが、その前にドーンと休暇を頂き、 ホンジュラスにあるロアタン島へ行ってきた。 ロアタン島はダイビングやシュノーケリングのメッカで、 アメリカの南部やカナダから直行便が出ているため、通貨は米ドルも使え、 退職後に家を買い移住している人も結構いる。 すべて段取りをしてくれた友達に、ただ”水着を持ってこい”と言われて 何も知らずノコノコやって来た私は、あまりにも海が美しいことに驚き、 素朴で人懐こい現地の人々やのんびりした暮らしぶり、 美味しい地元の料理がすっかり好きになってしまった。 実を言うと、私は3歳の時にプールで溺れて以来、水が苦手である。 海を眺めるのは好きだけれど、入るのには躊躇する。 30歳を越えてから水泳教室に通い、ある程度プールは大丈夫になったが、 海となるとやっぱり怖い。にもかかわらず、4~5年前に八丈島でダイビングをし、 決定的に海が怖くてたまらなくなってしまった。 海に泳ぎに行ったとしても、せいぜい足の着く範囲でウロウロしているだけである。 ところが、今回のロアタン島では、なんせシュノーケリングがメイン。 海に突き出たドックから入るので、いきなり足が着かない。 しかも、足元が見えているうちはまだ良いとしても、少し沖へ出ていくと、 断崖のような光景が広がり、その後は水以外何も見えないエリアが続く。 これは高所恐怖症も併せ持つ私には絶体絶命と思われた。 初日は潮の流れも悪く、本当に怖い思いをして、岸に戻れないかと思ったが、 翌日からは天候も良くなり、日を追うごとに、海の世界に惹きこまれるようになった。 今更と思われるかもしれないが、海の中はまさに別世界である。 これだけ豊かで色に満ちた世界が他にあるだろうか?というくらい。 緑の生い茂るジャングルも生命に満ち溢れているが、海の中にも満ち満ちていた。 私は今まで生きてきて、海の中がこんなに素晴らしいということを知らなかった。 (もちろん映像や知識としては知っていても、どこか真実味に欠けていた) 時々怖いと感じる状況がありつつも、私はどんどん沖へ出ていけるようになり、 サンゴが身体に当たりそうな浅瀬でも、好奇心に負けて、慎重にすり抜ける術を得た。 海が深いよりも、サンゴ礁の浅瀬の方が恐ろしいことも知った。 最後のセッションは、一生忘れないだろうと思う。私の人生で最長、最遠、最深の海。 光の届かない深淵に飲み込まれそうな恐怖を感じながらも、 魚たちと一緒に自分も魚になったように泳ぎ、断崖を彩るサンゴに目を奪われ、 そこに広がるダイナミズムに完全に圧倒されて涙が出た。 そして改めて思う、自然に勝る美しいものがこの世にあるだろうか? どの民族も、繰り返し繰り返し様々な文様を描いてきた。 そのソースはいつも自然の中にあった。それは畏敬の念としか言いようがない。 エネルギーや美しさを取り込み、そして感謝の気持ちを込めて、その成果物を捧げる。 そういう純粋な循環が文様に息づいているのだ、と泳ぎながら思った。 と同時に、物を創る人は、美しいものを見る義務がある、とも。 #
by cyabon
| 2016-03-20 19:13
| 旅
帰国のご報告も中途半端なまま、今月またソロへ行ってきた。 今回の目的は、第一にバティック・レッスンの続きと、 帰国前にバティックの先生と話して決めたプロジェクトの準備であったが、 出発前に色々あって計画が頓挫し、かなりモチベーションが下がっていた。 こんな気持ちのまま出発して大丈夫なのだろうかと思ったが、 関空からの飛行機で隣になったスマトラ人のアリさんと意気投合、 ビールまでご馳走になり、ご機嫌なフライトだった。 ジャカルタからのバスでは、敬虔なクリスチャンのおばちゃんが隣に。 神様と交信できるらしく(!)お告げだからと色々と世話を焼いてくれたことで ”よく来たね、お帰り!”と迎え入れられてるような気になり、 滞在中もそんな出来事が次々とあって、結果的にはとても充実した滞在となった。 予定を決めた時に、うっすらとイスラム暦のお正月に当たるかな? と思っていたが、今年は10月13日で、丁度参加することが出来た。 去年と同じサロンで着付けとメイクをしてもらい、 Kirabという、王宮の周りを歩いて一周するお祈りの行列に加わり、 去年は疲れて帰ってしまったのだが、今年は深夜に王宮内で行われる お祈りの儀式にも参加した。 (イスラム暦のお正月について 英語版です) 今回は色々と幸運に恵まれ、Kirabの後王宮内部に入れて頂き、 あまり見たことのない、人々がざわめく夜の王宮のキラキラした様子や、 奥様方のゴージャスな装いを見ることが出来(バティックが凄い)、 王宮の方々の隅っこにお邪魔させてもらった 祭壇のある部屋でのお祈りの儀式は、本当に素晴らしかった。 考えてみれば、バティックをやりたいと決心してジャワへ旅立ったのは、 2005年10月17日、それから丁度10年。 バティックの足跡を辿りここまで来たのだと思うと、 今まで応援してくれた、支えてくれた、導いてくれた、 全ての人々に対する感謝の気持ちが沸き上がってきて、 思わず顔を上げると、その想いに共鳴するようにお香を焚く炭が弾けて、 暗闇が一転パァーっと明るくなり、感謝の祈りは届いたのだな、と思った。 本当のことを言うと、私はいまだに“祈る”ということがよくわからない。 でも、バティックを学びながら、祈りについても学んでいるのだと思う。 バティックの先生が、 “一枚バティックを仕上げるごとにあなたは変わっていく。 これから何枚かのバティックを仕上げたら、絶対に違うあなたになっているはず。” と言われた。そこに王宮バティックたる所以、本質があるのだろう。 本当に道のりは長いけれど、心から楽しみである。 #
by cyabon
| 2015-10-30 19:23
| 生活
ソロで書くブログはこれが最後になると思うので、 始まりと同じご近所の画像、でも、美しい夕焼け版でお届け。 前半は日本に帰りたくて、1年間帰国してはいけないルールが重くのしかかり、 病気になると、1年持たないんじゃないかと不安な気持ちになったり、 論文や翻訳で引きこもると、ソロに住んでる意味ないなーとやさぐれた気持ちになったり。 そんなこんなをなだめすかしつつ、残すところあと一か月まで持ちこたえた。 いざ帰国が迫ってみると、なんだか日本は国の中枢が物騒で、 このままいたいような気もしてきたのだが、やっぱり帰れるのは嬉しい。 ここ2~3か月、帰国してからのことをどうするか考えているのだが、 ひとつ心が決まったことは、バティックの制作を中心に据えた生活の構築である。 王宮のバティックを習い始めたとき、まだなんとなく心が定まっておらず、 ある程度バティックはできるのだし、色々な技法も習得してきたし、 あくまでも”プロセスの体験”程度に考えていたかもしれない。 ところが、制作を進めていくうちに、これはとてもその程度の気持ちでは 最後までたどり着けないだろうということがわかり、 1か月を過ぎたころだっただろうか、日々の生活に気を配るようになった。 夜は早めに寝て、朝は早めに起きるようになったし、自炊をより強化したし、 何より自分の気持ちを安定させること、バティックに集中できる環境を心掛けるようになった。 王宮バティックの文献を読む限り、 バティックの制作は王宮の子女の教育という側面があったとのことだが、 もっとトレーニング的なものだと想像していた。 物事にじっくり取り組み忍耐力を培うとか、美しい線を引くことで丁寧な仕事を習得するとか。 もちろんそういう部分もあるのだが、実はもっともっと精神的な修練で、 それは生活(人生)全般に及ぶ、自分を律する心を養い、自分を信頼し、 常に神(と一般的に呼ばれているようなもの)と対峙し、高みを目指す、という類のものであった。 大きな面をベタに伏せるときに使う大きなチャンティンは扱いが難しく、 ちょっと気を抜くと余計なところにまでロウが広がってしまう。 が、弱気になってロウの温度を下げたり細いチャンティンにすると、線が生きてこない。 毎回レッスンの最初に進捗を確認して、やり直しやテクニックの説明を受けるのだが、 先生に『あなたはロウ伏せが苦手でしょう?怖がったらダメ、自分を信じなさい』と言われ、 私にとってはちょっと衝撃だった。 先ほどは精神的な修練と言ったが、この感覚は逆にアスリート的というか、 バティックに”自分を信じて飛べ!”的な感覚が必要だとは思わなかったのだ。 でも確かに、そういう気持ちの積み重ねが、大らかな力強いバティックを生むのかもしれない。 そして自分に欠けていた部分が、仕事を進めるに従い浮き彫りになってきた。 自分が今まで作ってきた作品は、よく繊細と評されていたが、 大らかさやダイナミズムに欠けていると自分では思っていた。きれいだけど力がない。 といって、大きな柄を勢いよく描けばよいというものでもなく、仕事の繊細さ・完成度を維持しつつ もっと布そのものがもつ力を表現するにはどうしたら良いのか? その答えに近づく指針を先生からいただいたので、初心に戻って精進したい。 先月、ジャワ伝統工芸であるクリスという刀の制作をしている友人に、 自分用にクリスを一本注文した。 どんな願いを込めたいか教えてくれとのことで、それにも少し驚き、 一生懸命考えて、これからのバティック制作の道しるべになるようなクリスをお願いした。 そして昨夜友人が、仕上げに入る前に二人で瞑想をして祈りを捧げる儀式をしたい、 とのことでうちにやって来て、蚊に苛まれながらもなんとか瞑想の儀式を終えた。 ジャワの、特に王宮文化の周辺にはこういう習慣が色濃く残っており、 今まで関連付けて考えてこなかったけれど、 例えば日本ではお祭りに付随して祝詞をあげる儀式や、 陶芸作家が窯に神棚を祀って、火を入れるときに儀式を行ったりするのと似ていて、 王宮バティックを学びたかったのは、こういう予感があったのかもしれない、と今思う。 あと残り一か月、とはいえ、次に続いていく余韻のあるエンディングになりそうで、 やはり来てよかったと心から思っている。 #
by cyabon
| 2015-07-16 02:31
| 制作
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